私が外資系化学メーカーに転職することになったきっかけ

・新卒で日系企業に入社
 外資系化学メーカーに転職する前、私は新卒で入社した一部上場の日系企業で働いていました。その会社は伝統的な古い企業で、良い言い方をすればアットホームな雰囲気でしたが、仲良しクラブのような体質がゆえに、業績は常に悪く、莫大な借金を抱えていました。当然給料は同業他社に比べて低く、常に劣等感を感じていました。人の出入りがほとんど無い村社会で、年功序列が色濃く、社員の昇進は能力に関係なく、大学卒かどうか、そして入社年次の順で決まっていました。

・新入社員時代の洗礼
 私が配属された管理部門の部署には高校卒の先輩が二人いました。この二人の先輩にとって、ある程度の昇進が約束された大学卒の生意気な新入社員は面白くない存在だったので、私は入社早々ひどい嫌がらせを受けました。仕事をわざと教えずに私に失敗させ、罵声を浴びせたり消しゴムのカスを投げられたりするなど、入社早々辛い毎日を過ごしました。当時はパワハラという言葉も無い時代ですので、周囲の人たちは皆、「新人がシゴかれているな」というような感じで見て見ぬ振りでした。私は毎日屈辱に震えながら、我慢の限界に達すると席を外し、オフィスの外でじっと怒りを鎮めていました。
 一方で、同期入社の友人たちは優しい先輩に恵まれ、終業後一緒にカラオケやコンパに行くなど、楽しい社会人生活を送っていました。これを見て私は、自分はなんて運が悪いんだ、こんな会社辞めてしまおうか、と考え始めました。しかし当時は就職氷河期で、苦労して内定を取り、やっとの思いで入社した会社です。辞めるのは簡単ですが、本当にそれでいいのか?と思い悩みました。当時会社の寮に住んでいた私は、実家に帰省した際父親に苦しい胸の内を打ち明けました。今でもはっきりと思えていますが、その時父親はこう言いました。「お前がそんな目に遭うのは、お前が仕事ができないからだ。ただそれだけだ。仕事で勝つしかないんだ。」これを聞いて、私は覚悟を決めました。逃げてはダメだ。それから私は休日もひとりで出勤し、一日でも早く仕事を覚える努力をしました。この時の辛い毎日は本当に今でも忘れられませんが、このおかげで、精神的に打たれ強くなりました。今後どんな辛いことにも耐えられる、という自信がつきましたので、今では嫌がらせを受けた先輩達にとても感謝しています。

・営業部への異動
 徐々にひとりで仕事ができるようになってきた頃、営業部への異動を命じられました。ようやく地獄のような毎日から抜け出せるという喜びで、一気に目の前の霧が晴れたような気分になり、新しい仕事に一生懸命取り組み始めました。営業部の新しい先輩からのサポートもあり、徐々に自分で新しいビジネスを開拓することができるようになっていきました。その後は幸運にも次々と新しいビジネスを立ち上げることができ、会社の業績に貢献したことが評価され、社内表彰を何度か受けました。20代後半から30代前半までは、自分が会社に貢献していることを実感し、充実した毎日を送っていました。この頃は自分が外資系企業に転職することになるなど、夢にも思っていませんでした。

・リーマンショック
 30代半ばになったころ、私はある大きな海外ビジネスに取り組んでいました。商品の改良、価格交渉、現地での試作などを粘り強くおこなった結果、当時私のチームが開発した素材が、世界で初めてノートパソコン筐体の材料として採用されることが決まりました。
 ところが、ここから一気にビジネスを広げていくぞ、となった直後に、リーマンショックが起こりました。客先からの注文は突然ストップし、億単位の滞留在庫が発生しました。責任を感じた私は、何としても損失を取り戻そうと、当時のビジネスパートナーとの在庫引き取り交渉に臨みました。交渉は困難を極めましたが、法廷闘争も辞さない構えで先方に損失負担を迫った結果、損失を折半する流れが見えてきました。
 ところが、ここで当時の私の上司は、損失負担を先方に強く要求せず、なぜか最終的に要求を引っ込めてしまいました。このときの上司の意図は、今でも分かりませんが、恐らくこの取引先との関係性を悪くしたくない、ということだったと思います。私はこの意味が理解できず、怒りで気持ちが切れてしまいました。

― 次の投稿「外資系化学メーカーへの転職」に続く

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私が外資系化学メーカーに転職することになったきっかけ” に対して2件のコメントがあります。

  1. 匿名 より:

    財閥解体後の世の中から、平成パブル崩壊、日本版金融ビッグバンを経て、かつての都市銀行は合併し結局旧財閥系に集約されたメガバンクに勤務しています。
    筆者の新入社員の頃のエピソードは完全にイメージできます(-_-)
    令和の時代になっても根強く残る純日本的企業風土だと思います。
    しかしながら、不遇な環境下でも家族の助言を聞き入れ前向きに自力で打破した行動力は、何ものにも代え難い。未来を切り拓くことができれば、過去も変え得ると感じます。

  2.  日系企業で働いた経験が無い人は、このような純日本的企業風土は想像できないらしいです。そんな人たちは、日系企業出身の同僚とうまくいかない場合があります。若い時にこのような経験をするのも、無駄では無いのかもしれませんね。

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